まんぷくの原作モデルは日清食品創業者!現在は?タイトルの意味まとめ!

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安藤百福

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こんにちわ!あやぱんですヽ(^o^)丿

 

今日は天気が悪いと
聞いていたのですが
思った以上に昼から晴れて
びっくり!!これなら
洗濯もの外に干しても
よかったじゃーんとか
おもいながらディズニーの
曲を聴いてます♪

 

 

そんなうちが今日書くのは
今日発表された
来年の秋から始まる朝ドラ
「まんぷく」

 

なんと今度の朝ドラの
主役は日清食品創業者の
安藤百福(あんどうももふく)
さんと妻の仁子(まさこ)さん
ついての話だそうです!!

 

 

日清はわかるけど
この夫婦が何をした人なのかな?
と思ったら今は当たり前にある
「インスタントラーメン」を
初めて作った人だそうです!

 

 

へェーーー((∀(∀)∀))
日清の社長がインスタント
ラーメンって作ったんやね~!
でもなんでインスタントラーメンを
つくろうって思ったんやろうね~?

 

 

そんなこんなでこの
創業者夫婦についてと
「まんぷく」という
タイトルの意味は何なのか
うちの小言を入れつつ
語りたいと思います♪

【タイトルの意味まとめ!】

 

今回のまんぷくの脚本を
担当したひとがこのタイトルの
由来を語っていました!

 

この「まんぷく」という
タイトルの意味は
「物語のヒロイン・
『福子』と、実業家の夫・
『萬平』の夫婦の名前を
合わせました。食と幸せの
シンボル『満腹』という意味と、
日本の朝に『福=幸せ』が
たくさんあふれますように、
という願いも込めています」

 

と紹介していました♪

 

(・x・ ).o0なんだか
素敵なタイトルやね~♪
タイトルにこんな意味のある
っていうのを知っただけで
うちはなんか幸せな気分に
なったわ~(*/∇\*))))))

 

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【まんぷくの原作モデルは日清食品創業者!現在は?】

 

今回の原作モデルは
最初にも説明したように
日清食品創業者の
安藤百福(あんどうももふく)
さんと妻の仁子(まさこ)さん

 

 

この二人は実際に
戦前から高度経済成長時代に
かけての大阪を懸命に生き抜き
失敗してはどん底から立ち上がる
“敗者復活戦”を何度も繰り返した
末、「インスタントラーメン」の
開発に成功したそうです!

 

 

そんな安藤百福さんについて
妻の仁子さんのプロフィールを
紹介します!

 

安藤百福さんは1910年に
台湾の嘉義庁で生まれる。

 

幼い頃に両親を亡くした安藤さんは、
呉服店を営む祖父母のもとで、
商売の現場を間近に見ながら
育ちました。

 

独立心と事業意欲が旺盛だった
安藤さんが「誰もやっていない
新しいことをやりたい」と、
最初に選んだのは繊維事業。

 

22歳の若さでメリヤスを
販売する会社を設立すると、
大成功を収めました。

 

ほかにも、幻灯機の製造、
炭焼き事業、バラック住宅の製造、
製塩や学校の設立など、
さまざまな事業を手がけた
安藤さん。時代の流れを
いち早くキャッチして、
すぐに事業化するベンチャー精神と、
失敗してもあきらめない
バイタリティーは、
この時から凄かったそうです。

 

そして、どんな事業も
「何か人の役に立つことはないか」
「世の中を明るくする仕事はないか」
という安藤さんの確固たる
信念のもとに行われていました!

 

 

終戦後、食糧難となった日本では、
おなかをすかせた人々が街にあふれ、
栄養失調のために行き倒れになる
人が後を絶ちませんでした。
この悲惨な光景を見た安藤さんは
「やっぱり食が大事。
食がなければ、衣も住も、
芸術も文化もあったものではない」
と食の大切さを痛感しました。

 

(・x・ ).o0これわかる!!
どんなにお金があっても
病気でおいしいご飯が
食べられなかったら辛いし、
楽しくない。
でもそのかわりどんなに
辛くてもおいしいものを
食べた時は人間は自然と
笑顔になれるよね♪
これってすごいことだと
思うねq(q’∀`*)

 

 

ある時、大阪駅近くの闇市を
通りかかった安藤さんが
目にしたのは、寒空のもと、
1杯のラーメンを食べるために
並ぶ長い行列でした。
安藤さんは日本人が
麺類好きであることを
改めて実感したと同時に、
この行列に大きな需要が
隠されていることを
確信したのです。

 

同じ頃、日本政府はアメリカの
余剰小麦を使った食事を
奨励していたものの、
そのほとんどはパンや
ビスケットになっていました。
「同じ小麦を使うなら、
なぜ日本人の好む麺類を
奨励しないのか?」と
安藤さんは疑問に感じたそうです!

 

 

1957年、安藤が理事長を
務めていた信用組合が破綻しました。
安藤はすべての財産を失い、
残ったのは大阪府池田市の
借家だけでした。
しかし、安藤は「失ったのは
財産だけ。その分、経験が
血や肉となって身についた」
と考え、自らを奮い
立たせたのです!!

 

そして、闇市のラーメン屋台に
並んだ人々の姿と、
日本人が麺類好きであることを
思い出し、”お湯があれば
家庭ですぐ食べられる
ラーメン” を作ろうと決意。
無一文の生活から這い上がるため、
長い間あたためてきた
アイデアの実現へ向けて、
第一歩を踏み出しました。

 

(・x・ ).o0おーーー!!!
なんだか面白くなってきた!
てっきりお金持ちの話かと
思ったら無一文になるんだね~
ここから這い上がってくる話は
絶対面白いよ(☆∀☆)

 

 

安藤は開発にあたって
5つの目標を立てました。
①何よりもまず、おいしくて
飽きのこない味でなければ
ならないこと。
②家庭の台所に常備できる
保存性がある

③調理には手間が
かからないようにする。

④値段が安い。

⑤安全で衛生的であること。

目標を定めたものの、
安藤さんは麺作りについては
まったくの素人だったため、
山のような試作品を作っては
捨てる日々が続きました。

ようやく理想的な配合に
たどり着いた安藤さんは、
「食品とはバランスだ。
食品の開発は、たった一つ
しかない絶妙なバランスを
発見するまで、これでもか
これでもかと追求する作業である」
と悟ったのです。

 

麺を長期保存するには
どうやって乾燥させれば
よいのか。また、お湯を
注いですぐ食べられるように
するにはどうすればよいのか。

この保存性と簡便性の実現こそが、
インスタントラーメンの
開発における最も高い壁でした。
ある日のこと、安藤さんが
台所へ行くと妻まさこさんが
てんぷらを揚げていました。

熱い油の中に入れられた
小麦粉の衣は、てんぷら鍋の中で
泡を立てながら水分を
はじき出していました。

「これだ! 天ぷらの原理を
応用すればいいんだ! 」

安藤は早速、麺を油で揚げてみると、
麺の水分が高温の油で
はじき出されました。

ほぼ完全に乾燥した状態と
なった麺は、半年間置いても
変質したり腐敗したりしない
保存性を獲得。

加えて簡便性についての問題も、
この製法で解決することが
わかりました。注いだお湯が
水分の抜けた穴から吸収されて
麺全体に浸透し、
元のやわらかい状態に戻ったのです。

 

 

(・x・ ).o0へーー!
インスタントラーメンの
最初の一歩って
てんぷらだったんだ~!
にしてもこんなこと自体
思いついて安藤さんは
やっぱり先見の目が
あるんやろうね~(☆∀☆)

 

 

こうして、インスタントラーメンの
基本となる製造技術
〈瞬間油熱乾燥法〉のヒントが
発見され、1958年8月25日に
世界初のインスタントラーメン
「チキンラーメン」が
発売されました。

チキンラーメン

お湯を注ぐとたった2分で
食べられる「チキンラーメン」は、
当時の常識では考えられない
食品だったため《魔法の
ラーメン》と呼ばれました。

 

発売当時の「チキンラーメン」の
価格は1食35円。うどん玉
ひとつが6円の時代に、
これでは商売にならないと、
問屋の主人たちは仕入れを
渋りました。しかし、
「チキンラーメン」を実際に
食べた人々からの “おいしくて
便利だ!” という声が日に日に
高まり、やがて問屋へ注文が殺到。

 

ついには、問屋のトラックが
工場前で列をなして
「チキンラーメン」の
できあがりを待つほどの
大ヒットとなりました。

 

1966年、「チキンラーメン」を
世界に広めようと考えた安藤さんが、
欧米へ視察旅行に出かけた時のこと。
現地で訪れたスーパーの
担当者たちは、「チキンラーメン」を
小さく割って紙コップに入れ、
お湯を注ぎフォークで
食べはじめました。

これを見た安藤さんは、
アメリカにはどんぶりも
箸もない、つまり
インスタントラーメンを
世界食にするためのカギは
食習慣の違いにある、
と気づいたのです。そして
この経験をヒントに、
麺をカップに入れてフォークで
食べる新製品の開発に取りかかりました。

 

 

(・x・ ).o0たしかに~!
日本で売られてたのは
こういう袋ラーメンだけだけど
海外ではないもんね!!
だからこそいまのこの形に
なったんだ~!!
これに気付いた安藤さんは
やっぱりすごいひとやね!

 

 

カップのサイズ、耐久性
安全性、ほかにはカップに
どうやって麺を崩れないように
おさめるか、容器のフタや具材、
麺の揚げ方など、さまざまな
知恵や工夫が詰め込まれて
やっとできたのが「カップヌードル」
でした!

 

 

インスタントラーメンを発明し、
世界の食文化を変えた安藤百福。
安藤がチキンラーメンを
世に送り出してから
半世紀以上が経ち、
その総需要は世界で1000億食を
超えるまでになりました。

 

 

安藤さんは2007年1月5日の
早朝に体調を崩し、
急性心筋梗塞のため
大阪府池田市の市立池田病院で
帰らぬ人となりました。
亡くなる前日には仕事始めで
立ったまま約30分の訓辞を行い、
昼休みには社員と餅入りの
チキンラーメンを食べたという。

 

 

( ゚Д゚ノノ”☆パチパチパチパチ
安藤さんがいなかったら
世の中にいまだに
カップラーメンが
なかったのかもしれないと
思うとホントに感謝よね~
小さいころお昼にお母さんが
いない時に1人で食べられる
温かいものと言えば
カップヌードルやったもんね~
量もちょうどよくて
おいしくて、子どもだけでも
安全で♪《魔法のラーメン》
って言われてもおかしくないと
思うね(☆∀☆)

 

 

こんな「まんぷく」が
始まるまでまだ先ですが
楽しみにしときましょう♪

 

 

おわり(* ̄∀ ̄)ゞ

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